質問書(結婚経緯)の作成

このエントリーをはてなブックマークに追加

 
 このページにおいては、海外に住んでいる配偶者を日本に呼び寄せる際の在留資格認定証明書交付申請に必要な「質問書」の書き方、特に「結婚に至る経緯」の書き方について詳しくご説明します。「結婚に至った経緯」は、配偶者ビザ取得の成否を担っているといっても過言ではありません。ポイントは「嘘偽りなく、なるべく詳しく、正確に記載する事」です。

-広告-


「質問書」や「結婚に至った経緯」を書く際に気をつけるべきことは何か?



  遠距離恋愛や文化・価値観の違いを乗り越えて、ようやく結ばれたっ!!と喜んでいるのも束の間で、すぐに直面するのがビザ(在留資格)の問題。「えっ?結婚しているのに一緒に日本で暮らせない場合もあるんですか?」と聞き返されることが度々あります。実際に、日本での過去の在留状況に問題があったり技能実習生との結婚のように制度上に問題があったりで、日本に入国できない方や帰国を余儀なくされ、せっかく国際結婚したにも関わらず、離ればなれで新婚生活を送っている方々が散見されます。とても理不尽に思えますが、国際結婚をしたからといって必ず配偶者ビザが与えられるという事ではないのです。

 

それでは、配偶者ビザ(正確には在留資格「日本人の配偶者等」ですが)を得るためには(得る可能性を高めるためには)何に気を付けて、「質問書」や「結婚に至った経緯」を記載すればよいのでしょうか?そのヒントは、入管法や入国・在留資格審査要領(許可不許可の判断をする際の指針となるようなガイドライン)、質問書など様々な処に転がっていますが、もっとも腐心すべき点は、「この度の結婚が偽装結婚ではなく、真実の結婚である、ということを立証する」という事です。 

 日本は、諸外国に比べ所得水準が高いので就労目的、ビザ取得の為だけの偽装結婚が後を絶ちません。入国管理局は日々この事実と格闘しています。国際結婚された方たちにとっては「私たちの結婚が嘘のわけないだろうッ!」と怒鳴りたくもなりますが、上記事実がある以上、入国管理局の審査は「この結婚は嘘じゃないだろうか?」と疑心暗鬼となり厳しくなってしまう傾向があります。したがって、質問書や結婚経緯書、その他追加の添付資料等でもって入国管理局審査官の疑念を払しょくする必要があります。

 入国審査官のこのような疑念を払しょくするのは容易ではありません。新婚旅行の写真や結婚式の写真が提出されたにも関わらず偽装結婚であった、という驚くべき案件があったと聞いた事もあります。ちょっとやそっとでは「婚姻の真実性」を入管審査官に納得してもらえそうにはありません。そのような理由から、このページの冒頭で述べたように「嘘偽りなく、できるだけ詳しく、正確に記載する事」が求められるのです。

 なぜ、「嘘偽りなく、できるだけ詳しく、正確に記載する事」というポイントが導き出せるのかは、「質問書」からも伺い知ることができます。
 まず質問書の冒頭ですが以下のような記述があります。

 この質問書は、提出された申請の審査のために答えていただくものであり、重要な参考資料となります。回答に当たっては、・・・・(省略)・・・・その他の記入部分については、できるだけ具体的に、かつ詳しく記載・説明願います。 

 質問書の冒頭において、「質問書は重要であり、具体的に、そして詳細に記載してください」と明記してあります。また、質問書の2ページ目「2 結婚に至った経緯(いきさつ)についてお尋ねします。」においては以下のように入国管理局は求めています。

 ② 初めて会ってから・・・(省略)・・・結婚届を出されるまでのいきさつを、年月日を示しながら、できるだけ詳しく記載してください。

 ここでも、結婚の経緯について、詳細な記載を求めています。次に、質問書の4ページ目の夫婦間での会話に関してですが、以下のような記述があります。

 (5)申請人(お相手の方)が日本語を理解できる場合は、いつ、どのように学んだのか、具体的に記載してください。

 ここでも具体的な記載が求められています。また、結婚の紹介者がいる場合は、「※紹介者との関係は、単に友人・知人と記載するのではなく、どのような関係か詳しく記載してください。」とわざわざ記載方法まで指導して、その詳細説明を求めています。

 質問書内には、これでもかと言わんばかりに、「具体的に・・・」「詳しく・・」という言葉が出てきます。「質問書の内容は、具体的に詳しく記載してください。そうでないと、あなた達の結婚が本当かどうか判断できません。判断できなければ不許可になりますよ。」という入管審査官の声が聞こえてくるようです(実際にそんなことは言っていませんが・・)。

 「この度の国際結婚が真実であり、ビザ取得の為の偽装結婚ではありません。」ということの立証責任は、申請人側にあります。通常、何かを立証するためには、その立証内容は、必然的に、具体的で詳細に説明されるはずです。例えば、過去の研究者が「地球が丸い」という事を立証しようとした際には、長い年月をかけ膨大な観測データや経験、深遠な考察と議論が繰り返され、想像を絶する程の具体的かつ詳細な証明・説明が行われたはずです。もちろん、そこまでの証明は国際結婚の真実性の立証には求められていませんが、立証するということはそういう事なのだと思っています。

 入国審査官は、国際結婚をしたあなた達の事を全く知りません。それにも関わらず、あなた達の結婚が本物かどうかの判断をしなくてはなりません。これは非常に難しいことであり、その心中察してあまりあります。このような難しい判断をする際には、やはり、あなた達の結婚に関する情報がたくさん欲しいところだと思います。
 かなりプライベートに突っ込んだ内容も提供する必要がありますので、嫌な事もありますが、皆様の結婚に関する情報をより多く入管に提供することで、入管審査官の判断を助け、結果、よい報告(許可)が得られるのではないかと考えています。くれぐれも面倒くさがってテキトーで不正確な記述をしてしまわないようにご注意いただけたらと思います。

 また、以下のような場合には、さらに具体的かつ詳細そして正確な記述が、質問書及び結婚に至った経緯に求められますのでご注意ください。

  • 過去に日本での滞在中に不法滞在などの犯罪を犯してしまった。
  • 過去に日本人との離婚歴が多い。
  • 過去の日本滞在時に入管に嘘の報告や申告、申請をしてしまった。
  • 出会ってから結婚までの期間が短い。
  • 結婚相談所など紹介者がいる。
  • その他、婚姻の真正性を疑われる事由がある場合。(歳の差婚。お互いがお互いの母国語を全く理解できないなど。)

                                    


質問書の記載例

 
 ここでは、質問書の記載例(特筆すべき部分だけ)をご紹介します。ご参考にしてください。ポイントは、何度も言いますが、「できるだけ具体的に、かつ詳しく、正確に記載する事」です。(※尚、ここでの記載例は、個人情報の観点からすべて架空です。下記の記載内容で申請したことがあるわけではありません。あくまでも参考にして下さいますようお願い申し上げます。)

【よくある記載例】

【参考例】

 出会った場所を「結婚に至った経緯」において詳細に記述するのであれば、【よ
  くある記載例】の記載でも良いかもしれませんが、なるべく【参考例】のように
  に詳しく場所を特定しましょう。また、「出会った時期」は、記憶があいまいで
  わからなければ、空欄にせず、何とか思い出して記載しましょう。はっきりと思
  い出せなければ、おおよその日付でもよいと思いますが、「出会った月」が間違
  うことは避けましょう。



【よくある記載例】

【参考例】

 ※質問書で質問される内容は、審査上とても重要なので、わざわざ紙面を割いて質
  問しています。したがって、できる限る詳しく、具体的に記載しましょう。「仕
  事を通じて日本語を学びました。」という事は、よくある日本語習得の一つです
  が、仕事を通じて、どのような方法で習得したのか(例えば、日本人の友人がで
  きた、お客さんと頻繁に会話していた、など。)、もう一歩突っ込んで記載する
  とよいと思います。


【よくある記載例】

【参考例】

 ※「妻は日本語が上手いので大丈夫です。」もちろん、日本人とご結婚される方で
  すので、日本語が堪能でコミュニケーションに困ることは少ないというカップル
  が多いと思われます。しかし、お相手の方にとって日本語は外国語です。少なか
  らずお互い意思の疎通で苦労したことが必ずあると思います。その苦労した際に
  、どのようなやり取りでコミュニケーションを取ったのか思い出し、具体的に記
  載してください。


【記載例】

 ※渡航歴は、新旧パスポートを見て正確に記載します。パスポートを紛失等して渡
  航歴が分からなくなってしまった場合は、ご自身の国の出入国を管理する行政機
  関に問い合わせてでも、正確な渡航歴を記載しましょう。正確な年月日が分から
  ないからといって、あいまいな記憶を頼りにあいまいな年月日を記載しないよう
  にします。入国管理局がデータベースで照会した渡航歴と食い違いがあると、虚
  偽申請ととられかねません。

 その他にも、結婚式のことや親族の住所や電話番号など、様々な質問がありますが、事実と相違がないように、一つ一つ確認しながら記載していきます。質問はたくさんあります。ちょっとした誤字・脱字程度ならたいして問題にならないかもしれませんが、兄弟の年齢に間違があったり、電話番号に誤りがあったり、住所に間違えがあったり、
渡航歴に食い違いがあったりと、二つ三つと間違えが重なると、結局は、質問書全体が疑わしくなってしまい、入管審査官も困惑し心証が悪くなり、「提出された書類に信ぴょう性が認められません。よって、不許可です。」という事になりかねません。
 何度も言いますが、曖昧な記憶を頼りに質問書を作成しないようにしましょう。日付等はしっかりと何か別の書類などで確認して記載していただきたいと思います。

                               





「結婚に至ったいきさつ」作成のポイント

 
 ここでは、質問書中の「結婚に至ったいきさつ」について解説します。結婚の経緯の内容に関して、もちろん、申請人の状況によって記載すべきことは様々ですが、概ね、以下の内容について書かれることが多いです。年月日を示しながら、できるだけ具体的かつ詳細に記載しましょう。どの程度具体的かつ詳細に記載するとよいのかは後述します。

 ① 初めての出会いについて
 いつ、どこで、初めて出会ったのかを詳細に記載します。出会ったシチュエーションや当時のお相手の印象などを書くと良いです。また、「結婚に至ったいきさつ」作成の全体に言えることですが、ご自分の心情や感想だけでなく、当時のお相手の心情や感想も記載するとより効果的です。

 ② 交際するに至った状況(キッカケ)について
 出会ってから交際を始めるまで、いろいろなやり取りがお相手の方とあったはずです。その色々なやり取りをしているうちに、好意を抱き、交際するに至っと思います。そのストーリー(キッカケ)を記載します。もちろん、なるべく詳細に記述します。「男女がお互い惹かれあい交際を始めるのに、理由などないっ!!直感やっ!!」や「話してるうちに、なんとなく好きになった。」程度のイキサツが本音かもしれせませんが、「直観」であれば、お相手の方のどこを見て(顔?しぐさ?雰囲気?話し方?)あなたの直感が騒いだのか、「話しているうちになんとなく・・・」であれば、その会話の内容や盛り上がった会話などはなかったか、などを思い出して記載すると良いと思います。

 ③ 交際状況について
 お互い惹かれあって、交際するに至ります。したがって、様々なところにデートしに行ったと思います。映画館、水族館、食事、旅行、温泉、海、山、川、などなど。いつ(時期)、どこ(場所)に行ったのかを記載します。そして更に、その時の思い出(エピソード)を交えて説明すると、より具体的で信憑性が増します。あなた達だけの「オンリーワンなエピソード」が良いと考えます。

 ④ 結婚について
 通常は、しばらくの交際を経て結婚に至るわけですが、結婚に関しては様々な記載すべき事柄があります。プロポーズの言葉やその時の心境・シチュエーション、結婚指輪、結婚式、新婚旅行、今回の国際結婚に関する親族の意見などです。全てを行っている必要はありませんが、結婚指輪を買っていない、結婚式等行っていないのであれば、その理由を述べておく方が無難です。

 ⑤ 同居について
 結婚前、結婚後に関わらず同居の事実があるならば記述してください。同居の事実の立証は、住民票が一緒になっていれば一番手っ取り早いかもしれせんが、無ければ、より具体的かつ詳細に、同居時の状況を記載・説明しましょう。「日本人の配偶者等」の在留資格は、単に法律上(書類上)夫婦であるのはもちろんですが、それだけではダメで、「お互いが夫婦として精神的にも肉体的にも協力しあって生活していく意思」を求めています。したがって、同居の事実は大切ですので、なるべく事実を正確にかつ詳細に記載します。同居の事実がしっかりしていればいるほど「婚姻生活に継続性、安定性がある」と判断してもらえ、審査上有利になります。

 ⑥ 収入や職業、その他資産について
 身元保証人、(配偶者ビザの場合は、日本人配偶者である事が多いと思いますが、)の方の職業、収入、資産などを記載します。「結婚に、愛に、カネは関係ないっ!!」おっしゃる通りです。私もそう願っています。しかし、実際、結婚生活を維持する上でお金は重要であり、配偶者ビザの審査上の項目に上がってしまっています。したがって、収入や職業、その他資産(あれば)情報も入管審査官に伝える必要があります。もっとも、「納税証明書や所得課税証明書」が提出されていればそれほど詳細に説明する必要もありません。

 ⑦ 将来設計について
 今現在の生活状況や今後の生活設計について記載します。配偶者の来日後、どのように生活していくのかのプランを示して下さい。二人で住むには狭い1kなどで暮らしているのであれば、配偶者の来日後、もう少し大きな部屋への引っ越しをプランしてみるのも良いと思います。また、現在の収入で今後もやりくりしていけるという事も示します。

 ⑧ その他の記載事項
 基本的には上記①~⑦をしっかりと書ければ十分であると思いますが、それ以外にも記載すると審査上有利な事項はあります。「日本人の配偶者等」の在留資格の審査上のポイントは大きく分けて二つあります。一つは「婚姻の真実性」。もう一つは「婚姻の継続性及び安定性」です。この二つが何を意味しているのかの答えは、「質問書」にあります。
 質問書では、様々な事が質問事項として挙げられています。夫婦の会話やコミュニケーション、使用言語、結婚式やその参列者、紹介者の有無、結婚歴、渡航歴、過去の日本在留歴、親族について、等々です。わざわざ紙面を割いてまで、これらをあなた達に質問する理由は、もちろん、「この質問に対する回答が審査上とても重要だから」です。重要でないことは、わざわざ質問しません。入国管理局は不夜城で超多忙です。冷やかしで質問しません。したがって、その他の記載事項は、質問書で聞かれた内容の中で、もっと掘り下げて説明しておきたい事や補足しておきたい事を中心に記述すれば良いと考えます。

                               



「結婚に至ったいきさつ」作成例【簡易版】

 それでは、以下に「結婚に至ったいきさつ」の作成例をご紹介します。過去の日本での在留状況や結婚歴、知り合った経緯やその証拠書類に特に問題がない場合の【簡易版】です。ご参考にしてください。(作成例は個人情報の関係から全て架空です。以下の内容で実際に申請したことがあるわけではありませんのでご注意ください。)

                                   【質問書別紙】
 ○○入国管理局長 殿

                結婚に至った経緯

                                20○○年×月×日
                                申請人  □ ××
                                申請人夫 ○○△△

 私は、日本国籍の ○○△△ と申します。この度の申請人であり私の妻である中国国籍(台湾) □ ×× を日本に招聘したく、在留資格認定証明書の交付の申請を行わせていただくに当たり、妻と初めて知り合ってから結婚に至り、現在までの経緯を下記にご説明させていただきます。ご査証の程、宜しくお願い申し上げます。

 私と妻との初めての出会いは、20××年○月ニュージーランドのハミルトンという街での宿泊先「△△△△」でした。当時、私はワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに滞在(20××年○月○日~20××年△月△日)しており、妻は観光(20××年○月○日~○月×日)でニュージーランドを訪れていました。その宿泊先「△△△△」で、私が妻に、英語で話しかけたのが交際のきっかけとなりました。妻のハミルトンでの滞在期間は3日間でしたが、その間、一緒にハミルトン市内を観光したり、日本食レストランで食事をしたり、ロッジでバーベキューをしたり、とても楽しい時間を過ごすことができました。別れる際には、お互いの電話番号とメールアドレスを交換しました。その後、妻は台湾に帰りましたが、メールや電話で連絡を取り続けていました。妻がニュージーランドを離れてから、次に私が妻に会いに台湾へ渡航するまでの間は、お互いメールと電話だけのやり取りでしたが、私は次第に妻に恋愛感情を抱くようになりました。
 私は、ニュージーランドでのワーキングホリデーを終えて日本に帰国した後、就職活動をし、株式会社□□に就職が決まりました。仕事が始まるまでに1ヶ月ほど期間が空きましたので、この間(20××年×月○日~×月△日)に、私は妻に会いに台湾へ渡航しました。この時、妻のご両親ともお会いすることができました。日本帰国後、今度は、妻が私の仕事の夏休みに合わせて来日(20×○年□月×日~20×○年□月△日)してくれました。東京都内観光やディズニーランドに行って楽しく過ごし、私の両親にも妻を紹介しました。。この時、私は妻に、「結婚を考えている」と伝えました。妻も「私もです。」と答えてくれました。今思えば、これが妻へのプロポーズでした。
 その後は、お互いの結婚への意思も固まっていましたので、結婚への準備を始めました。20×○年△月△日に、私が会社の休日を利用し、妻のご両親へのご挨拶と妻への結婚指輪をプレゼントするため台湾へ渡航しました。そして、20××年○月×日に結婚手続きのため、再度、台湾を訪れて結婚手続きを終えました。帰国後すぐの○月△日に○○市役所へ婚姻届けを提出しました。
 結婚式につきましては、妻の在留資格を取得し、妻を日本に呼び寄せた後、日本で行う予定でいます。結婚式場は、妻は私と一緒に各会場を下見して決めたいと言っています。新婚旅行につきましても、結婚式を行った後、1週間ほどの日程でイタリア旅行を計画中です。

 今後の生活設計につきましては、現在、私は、2DKの賃貸アパートに住んでいます。広さは十分ですので、妻の来日後も引き続き現在の住居で暮らす予定です。私の月収は23万で、多くはありませんが、贅沢をしなければ、妻と二人で生活していくには十分です。妻も理解してくれています。妻は、親日であり、日本の文化や風習をよく知っています。また、独学ですが日本語をよく勉強しています。私との会話も日本語です。私と知り合う以前にも、観光で来日したことがあります。したがって、日本の生活にもすぐに慣れ、日本人の妻として立派にやっていけると信じています。

 以上のような経緯により、本件申請を行わせていただく次第ですので、私と妻が一日でも早く日本で一緒に生活ができるように、妻 □ ×× に 「日本人の配偶者等」の在留資格認定証明書の交付のご許可を賜りたく、何卒よろしくお願い申し上げる次第です。
 
                                   


「結婚に至ったいきさつ」作成例【詳細版】

 それでは、以下に「結婚に至ったいきさつ」の作成例をご紹介します。過去の日本での在留状況や、知り合った経緯、離婚歴、交際状況やその証拠資料等に問題がある場合の【詳細版】です。ご参考にして下さい。嘘偽りなく、具体的かつ詳細に、そして正確に記載します。記憶があいまいな事は記載しないようにし、記憶に確かな事だけを記載するようにします。(※【詳細版】作成例は、実体験を基にしたフィクションです。したがって、少しおかしな点があるかもしれません。要は、「詳しく、具体的に記載する」ということがどういうことかを説明したかったにすぎません。ご参考程度にしていただきたく思います。)

                                   【質問書別紙】 
○○入国管理局長 殿

                結婚に至った経緯

                                20○○年×月×日
                                申請人  □ ××
                                申請人夫 ○○△△


 私は、日本国籍の ○○△△ と申します。この度の申請人であり私の妻である中国国籍(台湾) □ ×× を日本に招聘したく、在留資格認定証明書の交付の申請を行わせていただくに当たり、妻と初めて知り合ってから結婚に至り、現在までの経緯を下記にご説明させていただきます。ご査証の程、宜しくお願い申し上げます。

1.妻 □ ××の日本在留歴
 妻 □ ×× は、200○年4月×日に、「留学」の在留資格で来日しました。在留期限は、200△年4月□日でしたが、その期限を過ぎても台湾には帰国せず、そのまま日本に滞在していました。不法滞在中は、留学中にアルバイトをしていた焼き肉店「○○○」(所在地:東京都新宿区—–)(現在は閉店しています。)でそのまま勤務していました。また、住まいは、当時親しくしていた中国人友人の自宅で居候生活を送っていました。不法滞在が始まってから半年ほど経過した頃の200△年×月、妻は、アルバイト先から友人宅への帰宅途中に警察官の職務質問に合い、そこでパスポートの提示を求められ、不法滞在が発覚しました。その数日後に、不法滞在による退去強制処分を受け、200△年○月△日に成田空港から台湾へ帰国しました。

2.妻との出会い
 私と妻との初めての出会いは、20××年○月ニュージーランドのハミルトン市での宿泊先「バックパッカー△△△」でした。当時、私はワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに滞在(20××年○月○日~20××年△月△日)しており、妻は観光(20××年○月○日~○月×日)でニュージーランドを訪れていました。その宿泊先「バックパッカー△△△」で、私が妻に、英語で話しかけたのが交際のきっかけとなりました。妻は、旅行者が集まり歓談できる大広間にいました。妻に英語で話しかけはしましたが、私が日本人であると分かると、妻は、とても流暢な日本語で話し始めました。当時、私はニュージランドに滞在していましたが、英語での会話に四苦八苦しており、外国語を習得する難しさを肌で感じていました。そのため、”日本人ではない妻の日本語の上手さ”に大変な衝撃を受けたのを覚えています。「日本語ホント上手いね。すごいね。英語より日本語で話した方が早いね。」と連呼していました。この時の妻との会話で、妻が親日であり、過去に日本への留学経験があることを知りました。妻は、日本の漫画とドラマが好きなようでした。好きな漫画は「○○」、「△△」で好きなドラマは「×××○」、「○○△」、特に俳優の「□□○○」がお気に入りでした。私は、ドラマは全く知りませんでしたが、漫画は大好きで、妻と漫画の話しでおおいに盛り上がりました。二人でお酒を飲みながら3~4時間くらい話したと思いますが、この時すでに、お互いとても好印象をもっていました。後日、妻に聞くと、私の事を「陽気で、優しい人だと思った。」「日本の俳優の××に似ている。」と言ってくれました。また、この時、私は妻の事を「小柄で可愛くて、笑顔がいいな。」と感じていました。気付けば、私は、翌日のディナーを一緒にする約束を取り付けていました。
 翌日、夕方にバックパッカーのロビーで待ち合わせをし、妻が日本食を食べたいと言っていたので、市内の日本食バー「○○」に二人で出かけました。妻は、日本食の中でも寿司が大好きだったので、お寿司を注文し、その他は適当に注文しました。日本留学中には、お店で食べるのは値段が高いからと、スーパーで刺身を買ってきて、自分で酢飯を作り、寿司を握って食べていたそうです。好きな寿司は、「まぐろ」と「サーモン」で、「日本留学の時以来の久しぶりのお寿司。」といっておいしそうに食べていました。また、お酒はニュージランド産の赤ワインを注文しましたが、”ワイン(ニュージランド産)と寿司(日本食)と生春巻き(ベトナム料理)”が並んでいるのをみて、「一体どこの国の食事なんだ?」と二人で笑っていました。宿泊先への帰り道は、季節的にクリスマスも近く、街全体がイルミネーションで彩られていてとても綺麗でした。次の日に一緒にハミルトン市内を観光する約束をして宿泊先に戻りました。
 日本食バー「○○」でのディナーの翌日、二人で朝食をとり、ハミルトン市内観光へと出かけました。市内観光と言っても、ハミルトンは特別に有名な観光スポットがあるわけではなかったので、市内の大型ショッピングセンター「×××」で一緒にウインドショッピングをしたり、ワイカト川のほとりのおしゃれなカフェでランチ(写真1)をしたり、街中にある”よく意味の解らないオブジェ”の前で記念撮影したり(写真2)と、二人で単に街をブラブラしただけでした。しかし、私も妻も、実際それほど観光スポットには興味がなく、知らない外国、知らない街を、ただゆっくりと眺めながらブラブラするだけで、十分に海外旅行を満喫できる性格でした。外国の暮らしや、街並みや雰囲気を肌で感じることが好きなのです。この辺りの価値観は、私も妻も一致している点であり、私たちの旅行はいつも時間がゆっくりと流れるのでとても好きな事の一つです。この日の夜は、宿泊先の「△△△」で知り合いになった日本人 ○○ ×× (現住所:—– 連絡先:—–)さんに、宿泊先のロッジでバーベキューを行う約束をしていましたので、妻も一緒にどうかと誘うと、是非と嬉しそうにしていました。バーベキューは、日本人、中国人、韓国人、イタリア人、イギリス人などと多国籍なバーベキューとなりました(写真3・4)。ニュージーランドは羊肉が有名ですので、ラムチョップなどの羊肉が多く出ましたが、妻は羊肉が苦手で、専ら野菜とシーフードを食べていました。妻は、どちらかというと英語は苦手であり、イタリア人やイギリス人など英語で会話する必要のある人達とはあまり交流していませんでしたが、日本人達とは、日本語で会話できるので、あっという間にその場の日本人達と打ち解けていました。そこでも妻の日本語は”賞賛の嵐”でした。翌日は、妻がハミルトンを離れる予定でしたので、バス停まで見送りに付き添う約束をして、その日は別れました。
 妻がハミルトンを離れる当日。私は、宿泊先から徒歩15分ほどのところにあるバス停まで、妻と一緒に歩いて行きました。妻は、大きなバックパックを背負って旅行していましたので、バス停までは私が代わりに背負ってあげました。妻の次の目的地はロトルア市という温泉で有名な都市でした。私が、冗談っぽく英語で「あなたと離れたくない。一緒にロトルアに行きたい。」というと、妻は、照れ笑いをして、私には分からない中国語で何か言っていたのが印象に残っています。妻のハミルトン滞在はたったの3日間でしたが、とても楽しく過ごすことができました。「今後も連絡を取り続ける」とお互い約束をして別れました。
 その後は、私が妻に会いに行くために台湾に渡航するまで、妻とはメールと電話のみの交流となりました。メールは頻繁に行っていました。電話は月1回くらいの割合で、私から電話をかけていました。この時のメールでの通信履歴がありますので提出致します。

3.妻との交際開始
 ハミルトンで妻と別れてから、次に妻と会うまでの20××年○月~20××年×月○日の間は、メールと電話のみの交流となりました。この時期は、まだお互い「仲の良い友達」程度の関係でしたが、少なからず、私は妻に好意を感じていましたので、積極的に連絡を取り続けました。後日妻が言っていましたが、この時期、妻も私からのメールや電話を楽しみにしていたようでした。妻の趣味は、日本の漫画やアニメやドラマであり、妻にはそういった話しができる友人が近くにいなかったようでした。メールや電話だけの交流でしたが、回数を重ねると、妻の人柄をよく感じれるようになってきました。妻は、ちょっと”ひょうきん”または”変”な人でした。妻は、”アニメ「△△」の声優「○○××」のマネ”を電話口やっていました。「練習してるから聞いてほしい。」と妻が言っていましたが、「なぜ?台湾で?日本の声優のモノマネを練習するのだろう?」「お披露目する機会でもあるのかなあ?」と妻の不思議な行動に、疑問点ばかりでしたが、そんな妻の不思議な行動や言動は、私にはとても面白く、可愛らしく感じていました。また、よく漫画やアニメやドラマのことで質問をうけました。「主人公の○○が——と言ってたけど、どういう意味ですか?」とか「ドラマ”○○”のこの場所は日本のどこにありますか?」などと質問されました。私の知っていることならすぐに返答ができてよかったですが、知らないことだと、わざわざドラマを見て確認したり、漫画を探しに行ったりと大変でしたが、漫画やアニメはお互いの共通の趣味でしたので、この共通の趣味のおかげで、ハミルトンで一緒に過ごしたのはたったの3日間でしたが、その後次に妻と会うまでメールと電話だけで交流が続けられたのだと思っています。
 20××年△月△日、私はニュージーランドでのワーキングホリデーを終え日本に帰国しました。帰国後すぐに就職活動を行い、無事、株式会社□□に就職することができました。新しい仕事が始まるまで2週間ほど期間が空きましたので、妻に会いに台湾渡航することにしました。この初めての台湾渡航を境に、妻との恋人同士としての交際が始まったと実感しています。

4.妻との交際状況
 20××年△月○日から20××年△月××日までの1週間の予定で台湾に渡航しました。妻と会う事だけが目的の台湾渡航でしたので、ツアーなどには申し込まず、航空券だけを予約し購入しました。宿泊先は○×駅近辺の旅行者が集まるホテル「××□」を妻が予約してくれました。○×駅は妻の実家(○○市△△××)から車で10分で近いということと、「××□」は格安の割には綺麗で設備も良いとのことでした。
 200××年△月○日。××国際空港から出発し、夕方過ぎに台湾□□空港に到着しました。妻は仕事の関係で出迎えにはこれず、翌日の夕方に落ち合う予定でしたので、私は一人、○○市内行のバスに乗り、○○市駅から地下鉄で2駅の○×駅へ向かいました。私にとっては初めての台湾でしたが、特に迷うこともなく、宿泊先の「××□」にチェックインすることができました。宿泊先の共有スペースには無料でインターネットが利用できましたので、私はすぐに、妻に、予定通りに台湾についたこと、翌日の落ち合う予定の再確認のメールをしました。妻に、電話をしようと思いましたが、公衆電話の使い方がよく理解できなかったので、電話することができませんでした。その日、私は疲れていましたので、妻からのメールの返事を待つことなく、そのまま眠ってしまいました。
 翌日の台湾滞在二日目。朝起きてすぐに無料インターネットを利用して、妻からのメールをチェックしました。この日も妻は仕事なので、19:00頃に○×駅に私を迎えに来ること、翌日は仕事が休みなので一緒に観光に行きましょう、という内容でした(この時のメールのやり取りが残っていますので提出致します。)。妻との約束の時間まで、かなり余裕がありましたので時間を潰すのが大変でしたが、約束の時間の15分ほど前に妻は○×駅に到着しました。久しぶりに会って、一番最初に妻が言った言葉は「本当に来たの~。」でした。私は、日本から持ってきた妻の好きなアニメのキャラクター「○○○」の人形をお土産に渡しました(写真5)。安価なお土産ですが、とても喜んでくれていたので安心したのを覚えています。結局その日は、夜も遅かったので駅近くの台湾ファーストフード店の「××△」で一緒に食事をして別れました。
 台湾滞在三日目。私たちは、○×駅に朝8:00に落ち合いました。それから電車に乗り台北駅に行き、その日は一日台北市観光をしました。総督府、○○街、○○紀念堂、○○博物館そして最後に台北101へ行きました(写真6,7,8,9,10,11)。短い時間で様々な観光地を回ったので、正直どこがどこだったか私はほとんど理解していませんでした。しかし、妻は、台北市は妻にとって地元のようなところでしたがあまり観光地に詳しくなかったようなので、わざわざ事前に調べてくれていたようでした。(この時妻と回った観光地のチケットや昼食をとった際のレシートがありますのでご提出致します。参考資料)
 台湾滞在四日目。この日私たちは、「○○」という日本人にとってもたいへん有名な観光地にいきました。この「○○」は、日本のアニメ「○と×の△△」の舞台となったことで有名でした。観光地にあまり興味のないアニメ好きの妻もここ「○○」は過去に2度訪れたことがありました。「○○」はちょうど霧がかってとても幻想的でした(写真12,13,14)。古き良き台湾という感じで、日本人観光客に人気な理由も頷けました。そのためか、駅周辺では日本語でのタクシーへの客引きが多く、妻が中国語で撃退してくれていたのが面白かったです。そして、この日の夜は、妻のご両親と一緒に夕食をとりました。私は妻と知り合ってからまだ半年ほどでしたので、ご両親にお会いするのは早いのでは(私は、ご両親に会う=結婚前提という認識がありました。)?と思いましたが、妻に言わせると、台湾では、結婚とかそういうのは全く関係なく、「彼氏」をすぐに両親に紹介するとのことでした。この時、妻が「彼氏」という日本語をしっかりと理解して使用したのかは判然としませんでしたが、私にとってうれしい響きであったことは間違えありませんでした。この日を境に妻との距離が急激に縮まったと記憶しています。妻のご両親との夕食は、台北市にある「△△○」という有名なステーキレストランでした。台湾滞在四日目であり、”ルーロファン”や”ニュウロウメン”などの台湾風味付けに少し飽きてきたところでしたので、この時のステーキはとてもありがたく美味しく感じました。また、この時に、妻に通訳してもらいながらですが、ご両親とも色々とお話しさせていだきました。私の仕事のことや家族兄弟のこと、妻の幼少期(作文コンテストで入賞した等)や学生時代(漫画ばかり読んでいて、勉強しなかったこと等)、妻の性格のことや妻の姉や兄のことなどです。私は、中国語と言えば「シェイシェイ(謝謝)」くらいしか知りませんでしたので、この時から妻や妻の家族とも通訳なしで中国語で話せるようになりたいと思うようになり、帰国後中国語の勉強を始め、20○○年△月に中国語検定3級を取得しました(参考資料)。現在では、妻と日本語と中国語を織り交ぜながら会話ができるまでに上達しております。
 台湾滞在五日目。この日妻は仕事でしたので、妻の仕事が終わる夕方まで、宿泊先の「××□」近辺を散策することにしました。そして夕方、妻と○×駅で落ち合「士林夜市」へと出かけました。到着したのは、2000頃でしたが、非常に多くの観光客で賑わっていました。ものすごい多くの人だかりでしたので、また、私は携帯を台湾に持ってきておりませんでしたので、妻とはぐれたら大変だと思い、思い切って妻と手をつないでみました。後日妻は、「突然で少し驚きました。」と言っていました。夜市では、「×××」という飲食店で日本の混ぜそばのようなもの(名前は忘れました。)とツォン(日本のチマキのようなもの)や胡椒餅(日本の固い豚まんという感じでした。)などを食べました(写真15)。季節的にも暑かったので、また、私がお酒好きということもあって台湾ビールも注文しました。この時、妻も一緒に台湾ビールを飲みましたが、飲みっぷりがよく、妻もお酒好きという事を始めて知りました。その後は、二人で夜市を散歩して過ごしました。短い時間ではありましたが、とても楽しく過ごせました。
 台湾滞在六日目。私の台湾滞在予定は翌日まででしたので、今日は妻と一日一緒に過ごしたいと思っていましたが、この日も妻は仕事でしたので、妻の仕事が終わってから会うことになりました。また、私たちは○×駅で落ち合い、○×駅からタクシーで20分程の「△△」という日本料理店に向かいました。この日は台湾での妻との最後の夕食でしたので、妻の好きな日本料理をと思い、私が調べて連れて行きました。「△△」は少し値段が張りましたが、刺身の盛り合わせや寿司などを「美味しい、美味しい」と言って食べてくれてとても良かったと思いました。日本の「□□□ビール」」もありましたので、妻と一緒に飲みました。妻が「日本のビールおいしいね。」と言ったので、「今度日本においでよ。うまいビールいくらでも飲めるよ。」と私が言うと、妻は「私は日本に行けないと思います。」と答えました。この時は、その妻の回答をあまり深く考えず、仕事で忙しいから日本に来るのは難しいよなぁ、くらいに考えていましたが、妻の過去の不法滞在が関係していての発言であったと後に気が付いました。妻は、あまり好き嫌いがなく、私とは趣味嗜好も合い、「中国人(台湾人)は“竹をわったような性格”の人間が多い」と聞きますが、性格はとても穏やかで日本人の様な人でした。私はこの初の台湾旅行で、その事を確信し、またいっそう妻に好感を持つようになりました。私は、今後も妻と連絡を取り続け、また台湾に来ることを約束して、翌日日本へと帰国致しました。
 日本帰国後、私は、新しい勤務先での仕事が始まり忙しくなってしまったので、次の台湾渡航まで半年ほど期間が空いてしまいました。もちろん、この間もメールや電話で頻繁にやり取りをしていました(参考資料)。また、この期間は、妻から教わったパソコンを利用したテレビ電話でも連絡を取り合いました。このテレビ電話は、相手の顔も見ながら話しができ、しかも無料でしたので、妻との主な連絡手段はメールとこのビデオ通話になりました。メールは頻繁に行い、テレビ電話は週1回くらいの割合で行っていました。テレビ電話は、
妻の日本語の勉強及び私の中国語の勉強にたいへん役立っていましたので重宝しておりました。また、この期間に、お互いの将来の事を話しました。この当時、私は29歳であり、妻は28歳でした。私は、年齢的にも遊びで付き合うような時期ではないと考えていたので、私は結婚を意識して付き合っていきたい旨を妻に伝えました。この時、妻は、過去に日本で不法滞在した事実を打ち明けてくれました。初めて聞いとき、私はそれほど深刻には受け止めませんでしたが、その後、自分なりに不法滞在がどのようなことなのかをすぐに調べ、とても重大な問題であると気が付きました。大変な問題であり、とても驚きました。もちろん、過去の不法滞在について妻にも事情を聞きましたが、妻は、その当時はあまり不法滞在が問題であるという認識が薄く、バイト先だった焼き肉店の人手不足も手伝って在留期間が過ぎてもバイトを辞めることなく不法残留をしてしまった、と言っていました。また、不法滞在をしても後に手続きをしっかり取れば大丈夫かもしれない、という認識でいたようでした。
妻の不法滞在についての話しの真偽を確かめる術は、私にはありませんでしたが、その事実を知っても、私の妻に対する好意の気持ちは何も変わることはありませんでした。むしろ、真剣な交際が始まる前に教えてくれて良かったと思いました。その後も妻とのメールやテレビ電話での交際は続きました。特に、週一回ほどのテレビ電話は、私にとっても妻にとっても週末の楽しみの一つとなりました。○月△×日は妻の誕生日でしたので、テレビ電話で妻の誕生日をお祝いしたりもしました。パソコン画面の前で一人ケーキにロウソクを立てたりと少し寂しい気もしましたが、妻は大変喜んでくれていました。この時に、妻への誕生日プレゼントとして「○○」のネックレス(約30,000円)を、妻の実家へと送りました(参考資料)。 また、このテレビ電話では、妻のご両親も時々登場することがありました。「元気でやっているのか?」「仕事はどうだ?」「今、日本では○○○が流行っているのか?」「今度はいつ来るんだ?□□は知っているか?連れて行ってやる。」等と、まるで自分の息子が日本に海外赴任しているような感覚で、私と話してくれたことがとても嬉しく思いました。私も一度、私の母をテレビ電話で妻に紹介しました。私は、△△市内のアパートで一人暮らしをしていましたので、私の母にわざわざアパートへ来てもらいました。母は、「かわいい子ね。よかったね。日本語も上手だし。」と言ってくれました。
 
このように私の二回目の台湾渡渡航までの期間のメールとテレビ電話での交際は順調に進み、間違いなくお互いの恋愛感情は深まっていったと確信していました。


 二度目の台湾渡航は、20○○年△月○日に5泊6日の日程で行いました。5泊6日ではありますが、初日と最終日はほとんどが移動時間ですのでゆっくり滞在できたのは実質3日間ほどでしたが、今回は妻の休みに合わせて渡航できましたので、台湾滞在中は妻とずっと一緒に行動することが出来ました。

 二度目の台湾渡航の初日。15:00頃に台湾□□空港に到着しました。今回は、妻も仕事が休みでしたので、妻は車で空港まで迎えに来てくれました。前回の渡航から半年ほどが経過しておりましたので、実際に会うのは久しぶりでしたが、これまでの妻との頻繁なメールやテレビ電話の効果なのか、久しぶりに会ったという感じはしませんでした。しかし、実際に会うことはやはり嬉しいもので、最初の数時間は妻も私も気持ちが高揚しているのがよく分かりました。私は、妻から頼まれていた日本の俳優「○○×□」が出演している映画のDVDを2本と私の地元の銘菓「△△」を妻に手渡しました。妻は大変喜んでくれて、私の宿泊先であるホテル「××□(前回渡航時と同じ宿泊先です。)」に行く途中は、その映画の話しで盛り上がりました。まずは、私の宿泊先へ向かいチェックインを済ませ、その後、妻のご両親と夕食をご一緒する予定でしたので、妻の実家へと向かいました。妻の実家へ行くのは初めてでしたので、少し緊張しましたが、妻のご両親(特に、お義父さん)は、とても気さくで陽気な方でしたので、いつものテレビ電話の感じですぐに会話も弾み打ち解けました。妻の実家は、5階建てのマンションの5階であり、4LDKで24帖ほどのリビングであり、とても広々していました。壁紙は白で統一されており、とても清潔感のある室内でした(写真1617)。室内の様子はテレビ電話である程度知ってはいましたが、想像していたよりも綺麗で広くて、また大型の薄型テレビがあったりなどして、“比較的裕福な家庭”である印象をうけました。ひと通り部屋を案内していただいた後、私たちとご両親は夕食に出かけました。妻の実家から車で40分程の中華料理店「○○××△」でした。「○○××△」は、台湾では人気のある中華料理レストランであり、フカヒレスープ、蒸した大アワビなど高級食材がたくさ出てきました。「○○××△」は、日本人観光客向けのレストランではなく、日本人向けの味付けではなく、中華そのものの味であったような気がしました。日本ではあまり馴染みのない“鳥の足(鳥の足を甘辛く煮詰めたもの)”も出てきました。私は、食べ物の好き嫌いがあまりなく、何でもよく食べるので、お義父さんが「○―○―(私は、妻とその両親に“○―○―”と呼ばれていました。ニュージーランド滞在時のショートネームです。)は何でもよく食べるから日本でも台湾でも中国でもどこでも生きていけるな。」と笑っていました。また、この時の会食では、妻と私の今後の事が話題となりました。妻は妻の両親に、私と結婚前提で付き合っている、と伝えていたようで、ご両親から「いつ結婚するのか?」「年齢的にも早い方がいいぞ。」「一度家族みんなで顔合わせしたい。」「結婚式は、○月○日から○月×日の期間はやめてほしい。」などと、少しまだ気が早いのではと思いましたが、とても嬉しそうに、今後のアドバイスや要望を色々とおっしゃっていました。妻のご両親が、私たち二人の将来に関してとても好意的、協力的であるという事が、私達二人の結婚への強い後押しとなったことは間違いありませんでした。
 台湾滞在二日目(二度目の台湾渡航)。私と妻は、早朝から、台南観光に出かけました。妻の地元の○×駅から台北市へと電車で移動し、台北市から台南市までは高速鉄道を利用しました。妻と一緒に台南地区観光を3泊4日かけて行いました。妻も台南の観光名所はあまり知らなかったようで、日本から持ってきた観光ガイドブックで調べて妻と一緒に行き先を決めての行き当たりばったりな観光となりました。宿泊先は、台南市内のホテル「□□△△ホテル」に3日間とも泊まりました。このホテルは高級ホテルとまではいきませんが、値段もよく日本人観光客には人気のホテルで(写真17181920、参考資料)、タクシーの運転手さんに行き先を告げると「いいホテルに泊まってるね。」と羨ましがられるほどでしたので、妻は大変喜んでくれていました。この「□□△△ホテル」を起点として、台南の観光各地を電車やタクシーを利用して回りました。3日間で何十カ所の観光地を回りましたが(写真202223242526)、中でも「林百貨店(日本統治時代に日本人の林さんが創業したようです。)」の夜間のライトアップとお店前の交差点での絶え間のない原付オートバイのコラボレーションは、日本にはない光景でとても印象に残っています(写真27)。また、「神農老街」も、レトロな街並みで、日本にも古い町並みを保存した観光地がありますが、それの台湾版という感じでとても雰囲気があり、私の好きな観光スポットの一つとなりました(写真2829)。この「神農老街」には、おしゃれな雑貨屋などもあり、そこで妻が気に入った「□□のキーホルダー(台南市○○地方の守り神)」をペアで購入して、お互いの旅行カバンに付けました(写真30)。
 この二度目の台湾渡航では、その台湾滞在期間中は、妻と常に一緒に行動することができとても楽しく充実していて、あっという間に過ぎてしましました。二度目の台湾滞在を終え、日本帰国の為、台湾□□空港に到着した時に、私は「次に僕が台湾に来るときには、結婚手続きの為に来るよ。」と気恥ずかしいので少し冗談交じりで言うと、妻は「はい。嬉しいです。待っています。」と笑顔で答えてくれました。台湾□□空港のロビーであまり雰囲気がありませんでしたが、結局この言葉が妻へのプロポーズとなりました。

5.妻との結婚
 日本帰国後も、私と妻のメールと週1、2回ほどのテレビ電話での交流は続きました(参考資料)。すぐに会えない距離であり国籍も違いましたが、連絡を取ればとるほどお互いの愛情が深まっていくことがはっきりと分かりました。この期間のテレビ電話で、私が「僕は、ピョンちゃん(私は妻を時々ピョンちゃんと呼んでいます。妻は、いつもピョンピョン飛び跳ねているイメージがあり、また、中国語の発音っぽく感じられたからです。)と結婚しても、仕事の関係上台湾では暮らせないよ。ピョンちゃんに日本に来てもらうことになるよ。」と伝えると、妻は、「私も日本に行きたいです。日本で一緒に居たいです。」と言ってくれました。また、妻のご両親は、「○―○―なら大丈夫。娘を頼む。そのかわり、1年に1度以上
は必ず二人で台湾に遊びにおいで。」と言ってくれました。お互いの結婚の意思もはっきりしており、また、お互いの両親も、私たちの国際結婚を祝福してくれていましたので、私は妻との約束通り、結婚手続きのための三度目の台湾渡航を計画しました。

 妻からの情報やインターネットなどで調べてみると、台湾での結婚手続きに必要な書類は、特に問題なく収集できそうでしたが、私の仕事が忙しく休日出勤もあり、私と妻の日程調整に悪戦苦闘しました。そして、結婚手続きの為の三度目の台湾渡航は、二度目の台湾渡航から4ヶ月ほど経過した、20○○年△月○日に決まりました。今回の台湾渡航では、私の母も、妻のご両親との顔合わせのため同行して頂きました。(私の父は、仕事の都合上同行できませんでした。)。今回の渡航の日程は、3泊4日であり、結婚手続き、両親の顔合わせの日程としてはギリギリの日程でした。台湾□□空港にて妻と合流し、そのまま私の結婚書類のために交流協会台北事務所などへ向かいました。その後、妻の実家へと向かいました。妻の実家では、妻のご両親と弟(□ ×○)が出迎えてくれました。その後、予約してあった台湾料理店「○×△△」で会食を行いました(写真31)。この時、私は、日本で購入しておいた結婚指輪(ブランド:「○○□×」 値段:ペアで約24万)を妻に渡しました(写真32、参考資料)。本当であれば、妻と一緒に各お店を回って結婚指輪を選びたかったのですが、時間的余裕もなく、この結婚指輪は、妻と一緒に“インターネット経由でウインドショッピング”しながら相談して決めました。妻は、とても気に入ってくれています。
 この会食では、両親の紹介から私たちの生い立ちや兄弟姉妹の事など様々な話しができました。私の母は、生まれて初めての海外旅行と全く分からない中国語、慣れない味付けの食事に、とても疲れているようでしたが、最後は、「とても楽しい経験だった。ご両親もお嫁さんも明るくていい感じね。頑張って、幸せにね。」と言ってくれました。また、今後の予定(私達の結婚式や新婚旅行など)も話題になりました。結婚式については、妻が日本に移住し、私の仕事が少し落ち着いてきたら行う、結婚式には妻の親族総出で日本に渡航して参加する、などの予定をみんなで話し合いました。
 翌日の20○△年○月○○日、結婚届け提出のために○○市役所へ行き、無事に受理され、晴れて私たちは夫婦となりました(写真3233)。手続き終了後、日本帰国までに少し時間がありましたので、私の母のために台北市内観光をしました。普段私は、あまり難しい日本語や言い回しを使用しないようにとかなるべくゆっくりハッキリと妻と話すよう心がけていましたが、妻は、私の母と、特に何の支障もなく日本語で会話していました。改めて、妻の日本語能力の高さに驚かされました。
 そして、日本帰国後の20○△年○月○△日、私は、○×市役所にて日本側の婚姻手続きを済ませました。

6.現在の生活状況
 現在、私は、勤務先である株式会社□□で働き始めてから約1年が経過し、引き続き勤務していく予定です。月収は25万です(参考資料)。貯金が○○○万円あります(参考資料)婚姻後、妻への送金は行っておりません。妻にも仕事があり、また実家暮らしであるため、私からの仕送りは必要ないとのことです。妻には、結婚式の為に残しておいてね、と言われています。住居に関しましては、○×市内のアパートで2LDK、家賃は月6万5千円です(参考資料)。広さは十分ですので、妻の来日後も引き続きこのアパートで暮らしていく予定です。

7.日本の親族について
 私には、父母と兄1人と妹1人がいます。全員が、私と妻の結婚を祝福してくれています。また、妻の過去の不法滞在のことも知らせています。母以外には妻を写真で紹介しました。妹が妻のことを「可愛いね。結婚式楽しみだね。」と言ってくれています。尚、母が、今回の申請のために嘆願書を書いてくれましたので、これを提出致します(参考資料)。

8.結婚後から現在の状況
 私は、妻との婚姻後、直ちに、妻を日本に呼び寄せるための手続きを行いました。そして、20○△年□月□日付で、貴局に対して妻の在留資格認定証明書の交付の申請を行いました(申請番号:名永認T○○○○××号)。しかし、結果は不交付でした。私は、不交付理由を伺うべく、同年○月××日に直接貴局窓口にて行政相談を致しました。そして、この時、過去に不法滞在を犯した者の日本入国の難しさを実感した次第です。前回の申請が不交付となってしまい、私も妻も大変落胆していました。妻は、「私のせいでごめんなさい。」と何度も何度も泣きながら私に謝っています。なぜ結婚しているのに一緒に暮らせないのか、と思うこともありますが、事情が事情なだけに仕方がない、何回でも申請して必ず日本で一緒に暮らせるから、と妻を励ましています。そして、二度目の本件申請に至りました。結婚後から現在までに5か月ほどの月日が経過していますが、この期間も妻とは、メールとテレビ電話で頻繁に連絡を取り合っています(参考資料)。また、○月×日から○月△日の日程で、妻に会うために私にとって4回目の台湾渡航を予定しています。

9.結語
 妻は、質問書及び本結婚に至った経緯記載のとおり、日本語がとても堪能です。私との会話もほとんど日本語で行っています。妻が、日本語で、「私との結婚に至った経緯」(参考資料)を書いてくれましたので提出致します。また、妻は日本のアニメやドラマが好きで、大変な親日家でもあり、私との相性はとても良いです。私はこれほど相性の良い女性とは今まで出会ったことがありません。したがって、私は、妻は日本に来日後も、日本人の妻として立派にやっていけると確信しています。
 妻には退去強制歴がありますので、日本入国は難しいのかもしれませんが、私は、妻を愛し、今後の生活を日本で一緒に暮らしていきたいという気持ちは全く変わりません。妻も過去の日本での不法滞在をしっかりと反省しています(参考資料)。今後は、私が、妻が二度と入管法その他日本の法令を破ることがないよう厳重に監督致します。
 以上の次第ですので、御庁におかれましては、諸事情ご理解の上、何卒、妻の日本入国をお認め下さるようお願い申し上げます。

以上


 出会ってから結婚に至った経緯がとても詳細に記載されているかと思います。お相手の方に、過去不法滞在歴があったり、日本人との結婚離婚を繰り返していたり等、問題がある場合は、上記【詳細版】くらいの結婚の経緯を提出した方が良いと思います。また、写真や証拠資料(メール履歴、通話履歴、送金履歴、領収書、チケット等々)をありったけ提出してください。詳細な結婚経緯、豊富な証拠資料、豊富な写真が、結局は、お二人のの結婚の真正性を担保することになると考えています。
 
 また、結婚経緯書の信憑性を高めるために効果的なのが、固有名詞の多用です。デートで行った遊園地の名前、食事をしたレストラン名、泊まったホテル名、二人でよく行くスーパーの名前、等です。さらに、金額や住所、友人の名前・連絡先、など具体的に詳細に記述できることは積極的に記載していきましょう。
 
 実際、これだけの記載をしようとすると、嘘があるとすぐに矛盾点として浮き出されてきます。また、その時はたまたま嘘が通ったとしても、その後の更新時などに発覚する可能性は高いでしょう。したがって、入管側も安心して許可が出せるのではないでしょうか。そして、入管が安心して許可を出せるとういことがとても大切だと私は考えています。